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高松地方裁判所 昭和51年(ワ)349号 判決

原告

加藤照美

被告

浅野喜美子

ほか一名

主文

一  被告らは、各自、原告に対し、金一八九万五八一九円及びうち金一七一万五八一九円に対する昭和五一年一一月六日から、うち金一八万円に対するこの判決確定の日からそれぞれ支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告の被告らに対するその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを五分し、その一を被告らの、その余を原告の各負担とする。

四  この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは、各自、原告に対し、金一六〇〇万円及びうち金一五〇〇万円に対する昭和五一年一一月六日から、うち金一〇〇万円に対するこの判決確定の日からそれぞれ支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  右1の部分につき仮執行宣言。

二  請求の趣旨に対する被告らの答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  事故の発生

原告は、昭和四九年六月三〇日午前一一時三〇分ころ、軽四輪貨物自動車(六香ら六二四八号。以下原告車という。)を運転し、高松市成合町七二九番地付近交差点(以下本件交差点という。)を東から西に向かつて進行中、北から南に向かつて進行して来た被告浅野喜美子(以下被告浅野という。)運転の軽四輪乗用車(八香む八七五二号。以下被告車という。)と衝突した(以下、この衝突事故を本件事故という。)。

2  被告らの責任原因

(一) 被告藤井園江

(1) 被告藤井園江(以下被告藤井という。)は、本件事故当時、被告車を自己のため運行の用に供していた。すなわち、本件事故当時、被告車には、自動車損害賠償保障法(以下自賠法という。)所定の自動車損害賠償責任保険(以下自賠責保険という。)契約が締結されていなかつたが、高松市役所保管にかかる軽自動車課税台帳の所有者名は、被告車購入以来一貫して被告藤井名義となつているほか、同車の新規検査申請書においても、使用者名は被告藤井となつているばかりでなく、被告藤井は、被告浅野の実母であり、しかも被告らは同居しているのであつて、被告藤井が被告車の運行につき、運行利益及び運行支配を有していたことは明らかである。したがつて、被告藤井は、自賠法三条本文により原告に対し、原告が本件事故により被つた後記損害を賠償する責任がある。

(2) 仮に、被告藤井が、自賠法三条本文による損害賠償責任を負わないとしても、同被告は、原告に対し、昭和四九年八月一日、被告浅野が原告に対し負担する後記損害賠償債務を保証する旨約した。

(二) 被告浅野

被告浅野は、被告車を運転して、本件交差点に進入するに当り、同交差点が信号機により交通整理の行われている交差点であつたのであるから、信号機の表示する信号に従つて進行すべき注意義務があるのに、これを怠り、対面信号が赤色の燈火(以下赤色、青色、黄色の各燈火につき単に赤、青、黄という。)を表示していたのに停止することなくそのまま本件交差点に進入したため、対面信号青の表示に従い同交差点に進入した原告車の右後部に被告車の右前部を衝突させて本件事故を発生させた。したがつて、被告浅野は、民法七〇九条により原告に対し、原告が本件事故により被つた後記損害を賠償する責任がある。

3  原告の被つた損害

(一) 受傷

原告は、本件事故により頸椎捻挫、根症状型バレリユー症候群の傷害を受けた。

(二) 右傷害の治療経過

(1) 入院

原告は、昭和四九年七月三〇日から同年一〇月三一日まで、昭和五〇年六月四日から同月一七日まで及び同年一〇月一一日から同年一一月二六日までの合計一五五日間、吉峰病院に入院し前記傷害の治療を受けた。

(2) 通院

原告は、昭和四九年七月一日から同月二九日まで、同年一一月一日から昭和五〇年六月三日まで、同月一八日から同年一〇月一〇日まで及び同年一一月二七日から昭和五一年一一月六日まで右病院に通院(通院実日数五五〇日間)し前記傷害の治療を受けた。

(三) 後遺障害

原告の右傷害は、昭和五一年一一月六日、一応症状が固定したが、頸椎の著しい運動制限(前屈三三度、後屈三六度、左屈二八度、右屈二七度、左回旋四四度、右回旋三三度)及び頭痛、めまい等神経系統の機能又は精神に障害を残し、そのため服することができる労務が相当程度に制限されるに至つており、右後遺障害は、少なくとも自賠法施行令別表九級一〇号に該当する。

(四) 損害額

(1) 入院雑費 七万七五〇〇円

原告の吉峰病院への前記入院期間一五五日間につき、一日当り五〇〇円の雑費を要した。

(2) 休業損害 四九三万四〇六六円

原告は、昭和四年一一月三〇日生まれ(本件事故当時の年齢四四歳)の男子であり、本件事故当時、請負業を主とする建築大工の仕事に従事し、昭和四九年においては、同年の賃金センサス第一巻第一表産業計、企業規模計、小学・新中卒の同年令の男子労働者の平均給与年額二一一万四六〇〇円を下回らない年間所得を得ていたところ、本件事故発生の翌日である同年七月一日から昭和五一年一一月五日まで二年四月余りの間休業を余儀なくされたので、少なくとも、右年間所得額を基礎とした二年四月分の休業損害四九三万四〇六六円を被つた。

算式 〈省略〉

(3) 後遺障害による逸失利益 一〇八〇万五二八五円

原告は、前記症状固定時である昭和五一年一一月六日当時、年齢四六歳であり、就労可能期間は年齢六七歳に達するまでの二一年間であるところ、前記後遺障害は生涯を通じて回復の見込はないから、いかに少なく見積つても三五パーセントの労働能力が減退したものというべきであり、これによる逸失利益の右症状固定時における現価は、前記賃金センサスによる四六歳の前同様の男子労働者の平均給与年額二一八万八九〇〇円を原告の年間所得額とし、年別ホフマン式計算方法により年五分の割合による中間利息を控除して計算すると、次の算式のとおり一〇八〇万五二八五円となる。

算式 2,188,900(円)×35/100×14.104=10,805,285(円)

(4) 慰藉料 三七一万円

原告の前記傷害の程度、入・通院の期間及びその状況等に照らすと、原告の入・通院による慰藉料は一一〇万円、また、原告の前記後遺障害の部位、程度に照らすと、原告の後遺障害による慰藉料は二六一万円、合計三七一万円が相当である。

(5) 右(1)ないし(4)の損害額の合計は一九五二万六八五一円となる。

(五) 損害の填補

原告は、被告浅野から合計一三〇万円(うち一〇〇万円は香川県共済農業協同組合連合会から被告車について加入していた任意保険金として受領した。)の支払を受けたので、これを前記(四)の損害に充当した。

(六) 弁護士費用 一〇〇万円

原告は、法律に暗いため、昭和五一年九月二七日、原告訴訟代理人らに対し、本件訴訟を委任し、手数料として一〇万円を支払い、勝訴の際は認容額の一割(ただし、弁護士報酬基準規程の許容額を限度とする。)を報酬として支払う旨約した。そのうち、一〇〇万円は、本件事故と相当因果関係を有する損害である。

4  結論

よつて、原告は、被告浅野に対しては民法七〇九条に基づき、被告藤井に対しては自賠法三条本文又は保証契約に基づき、被告らに対し、各自、前記3(五)の損害残金一八二二万六八五一円のうち金一五〇〇万円及びこれに対する症状固定の日である昭和五一年一一月六日から、前記3(六)の弁護士費用一〇〇万円及びこれに対するこの判決確定の日からそれぞれ支払ずみまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の各支払を求める。

二  請求原因に対する被告らの認否

1  請求原因1の事実は認める。

2  同2について

(一)(1)の事実のうち、被告車に自賠責保険契約が締結されていなかつたこと、原告主張の軽自動車課税台帳及び新規検査申請書に被告藤井名義が使用されていることは認めるが、その余は否認する。被告藤井が自賠法三条本文により、原告に対し、原告が本件事故により被つた損害を賠償する責任があるとの主張は争う。被告藤井は、もともと自動車の運転免許は取得しておらず、かつ、長年リユーマチ、神経痛の持病のため病床にあり、被告車の運行支配に何ら関与していないばかりか、運行利益も受けておらず、被告車につき運行供用者としての責任はない。右軽自動車課税台帳や新規検査申請書に被告藤井名義が使用されているのは、同被告の長男藤井光男が、被告車を購入した際、同人が未成年者であつたため、便宜、同被告の名義を使用したにすぎない。

(一)(2)の事実は否認する。

(二)の事実のうち、被告浅野が対面信号赤の表示で本件交差点に進入したこと及び原告車が対面信号青の表示に従つて本件交差点に進入したことは否認し、その余の事実は認める。ただし、被告浅野が、民法七〇九条に基づき、原告に対し、原告の本件事故により被つた損害を賠償する責任があるとの主張は争う。

3  同3について

(一)及び(二)の各事実は知らない。(三)の事実のうち、原告主張の後遺障害が自賠法施行令別表九級一〇号に該当するとの点については否認し、その余は知らない。(四)の各事実は知らない。(五)の事実は認める。(六)の事実のうち、原告が原告訴訟代理人らに対し本件訴訟を委任したことは認めるが、その余は知らない。

仮に、原告主張の右(一)ないし(三)の傷害及び後遺障害が認められるとしても、右傷害及び後遺障害は本件事故により生じたものではない。すなわち、原告は、本件事故前である昭和四六年四月二二日、交通事故に遭つて、いわゆる鞭打ち損傷の傷害を受け(以下この事故を本件前の事故という。)、その後治療を続けたが、昭和四九年四月二〇日自賠法施行令別表九級一〇号に該当する後遺障害を残して症状が固定しているのであり、いわゆる鞭打ち損傷における右の程度の後遺障害の継続期間は一般に五年ないし六年とみるべきところ、本件事故は右症状固定後間もなく発生したもので、原告主張の傷害及び後遺障害と本件前の事故により被つた前記傷害及び後遺障害とは極めて類似しているのであつて、原告主張の本件事故による傷害及び後遺障害は、本件前の事故に起因するものというべきであり、本件事故との間に因果関係はない。

また、仮に、原告主張の請求原因3(四)(2)の損害が認められるとしても、原告は、本件前の事故による右後遺障害のため、既にその労働能力の三五パーセントが減退し、しかも、その労働能力の減退は五年ないし六年間継続するのであるから、原告の損害の算定に当つてはその基礎となる年収額から右労働能力の減退分を控除すべきである。

4  同4は争う。

三  被告らの抗弁

1  過失相殺

仮に、本件事故発生について被告浅野に過失があるとしても、本件事故発生については原告にも次のような重大な過失がある。すなわち、原告は、原告車を運転して本件交差点に進入するに当つて、同交差点設置の対面信号機の信号がまだ赤を表示していたのに、いわゆる見込み発進をして同交差点に進入した重大な過失によつて本件事故が発生した。これに対し、被告浅野は、被告車を運転して右交差点の手前に差し掛つた際、対面信号機の信号が青を表示していたので時速約四〇キロメートルで進行していたところ、同交差点に進入する直前で右信号が黄の表示に変つたが、交差点手前で停止することができない状態であつたため、そのまま直進して交差点を通過しようとしたにすぎない。

このように、本件事故は、原告の重大な右過失によつて発生したものであり、その過失は八割以上であるので、被告らの損害賠償額算定に当り少なくとも八割以上の過失相殺による減額がなされるべきである。

2  弁済

原告は、

(一) 本件傷害の治療費として三〇万円の損害を被つているところ、昭和五〇年八月四日被告浅野から右治療費三〇万円の支払を受け、

(二) 昭和五四年四月一七日、香川県共済農業協同組合連合会(被告車について加入していた任意保険)から五〇万円の支払を受け

ているから、右各金員を原告の損害に充当すべきである。

四  抗弁に対する原告の認否

1  被告らの抗弁1の事実は否認する。

2  被告らの抗弁2(一)の事実は認める。しかし、原告は本件訴訟において治療費を請求していないのであるから、この抗弁は主張自体失当である。同2(二)の事実は認める。

第三証拠〔略〕

理由

一  事故の発生

請求原因1(事故の発生)の事実は当時者間に争いがない。

二  被告らの責任原因

1  被告藤井の責任原因

まず、被告藤井が被告車の運行供用者にあたるかどうかの点について検討する。被告車に自賠責保険契約が締結されていなかつたこと、被告車について高松市役所保管にかかる軽自動車課税台帳の所有者名が被告車購入以来一貫して被告藤井名義となつているほか、同車の新規検査申請書にも使用者名が被告藤井となつていることは当事者間に争いがなく、成立に争いのない甲第七号証及び被告浅野喜美子本人尋問の結果(ただし、後記措信しない部分を除く。)に弁論の全趣旨を総合すれば、次の事実を認めることができる。

(一)  被告藤井は、本件事故当時、その子である被告浅野、同被告の夫浅野豊彦及び子並びに被告藤井の長男(被告浅野の弟)である藤井光男(以下光男という。)と同居していたこと。

(二)  光男(昭和二六年四月八日生)は、本件事故当時まで未婚で、中学校を卒業後、大工として建設会社に勤務し、一九歳のころ、被告車を購入し、代金は月賦払により支払つたが、当時未成年であつたため、同車の登録にあたつては母親である被告藤井の許しを得て所有者名義人を被告藤井とし、その後本件事故発生時までの約四年間、右名義の変更をしていないこと。

(三)  被告車の購入後、同車は被告藤井の目の届く被告ら一家の居宅又はその付近に保管され、その使用は主として光男の通勤用に使用されていたが、一方家族である被告浅野が買物などに出掛ける際にも同被告がこれを使用し、現に本件事故も被告浅野が光男から被告車を借り受けて運転していたときに起きたものであること。なお、被告ら一家には、被告車のほかに、被告浅野の夫豊彦所有の自動車があり、被告浅野は、ふだんは同車を使用していたこと。

(四)  被告藤井は、大正一一年二月七日生まれの女性で、自動車運転免許を取得したことはないが、リユーマチ、神経痛の持病があつて、病院に通院しており、被告車に乗車することもあつたと考えられること。

右認定に反する被告浅野喜美子本人尋問の結果(被告藤井は被告車に乗車したことはなかつた旨の供述部分)は、被告車の前記使用状況に照らし措信できず、他に右の認定を覆すに足りる証拠はない。

ところで、自動車の所有者から依頼されて自動車の所有者登録名義人となつた者が、登録名義人となつた経緯、自動車の保管場所その他諸般の事情に照らし、自動車の運行を事実上支配、管理することができ、社会通念上自動車の運行が社会に害悪をもたらさないよう監視・監督すべき立場にある場合には、右登録名義人は、自賠法三条本文所定の自己のために自動車を通行の用に供する者にあたると解すべきである(最高裁昭和五〇年一一月二八日判決、民集二九巻一〇号一八一八頁参照。)ところ、前記の事実関係のもとにおいては、被告藤井は、長男光男との関係において、同人に被告車の登録名義人となることを許し、かつ、被告車の運行を事実上支配・管理することができ、また社会通念上その運行が社会に害悪をもたらさないよう監視・監督すべき立場にあつたということができるから、同車につき同法条所定の運行供用者にあたるというべきである。そして、本件事故は、被告浅野が被告車の所有者である光男の許諾を受けて同車を使用中惹起したものであつて、その運行は被告藤井との身分関係からしても同被告の意思に反するものでないことは明らかであり、したがつて、被告藤井は、本件事故につき、被告車の運行供用者として自賠法三条本文により原告の被つた損害を賠償する義務がある。

2  被告浅野の責任原因

当事者間に争いない前記事実に、成立に争いのない乙第一号証、金崎某が昭和五三年二月一三日ころ撮影した本件事故現場の写真であることが当事者間に争いのない乙第二号証の一ないし四、調査嘱託の結果、原告及び被告浅野喜美子各本人尋問の結果(ただし、各本人尋問の結果中、後記措信しない部分を除く。)を総合すれば、次の事実を認めることができる。

(一)  本件事故現場の道路は、幅員約七メートルの南北に通ずる道路(以下南北道路という。)と東西に通ずる道路(以下東西道路という。)とがほぼ直角に交差した交差点(本件交差点)であるが(なお、東西道路の幅員は、本件交差点の東方が約六・八メートル、同じく西方が約一一メートルである。)、東西道路は、本件交差点において同交差点の西方道路中央線(センターライン)を東方へ延長した線が同交差点の東方道路の北側側端の線とほぼ一致する程度にやや南にずれていること。

(二)  本件交差点は、信号機が設置され、これによる交通整理の行われている交差点であり、交差点の各側端には道路表示によりそれぞれ横断歩道が設けられ、かつ、その手前に停止線が引かれていること。

(三)  右信号機の信号の表示は、本件事故当時、南北道路の対面信号については、青が七五秒続いた後、黄四秒、全赤二秒、赤二一秒、全赤二秒の順に移行し、他方、東西道路の対面信号については、南北道路の対面信号に対応して、七九秒間の赤の後、全赤二秒、青一七秒、黄四秒、全赤二秒という順に移行していたこと。

(四)  南北道路の北から本件交差点に向かつて進入する車両と東西道路の東から同交差点に向かつて進入する車両とは、本件交差点北東角に久松クリーニング店の建物があるため、相互に見とおしが悪いこと。

(五)  被告浅野は、事故当日、被告車を運転し、南北道路を北から南に向つて時速約四〇キロメートルで進行中、本件交差点の手前約八メートルの地点に達したとき対面する信号が黄を表示しているのを確認したのみで、その信号がいつ黄の表示に変つたかを確めることなく、信号が黄の表示のうちに本件交差点を通過できるものと考え、そのまま同交差点に進入し、同交差点の中心の手前に達したとき左方(東方)から同交差点に進入して来た原告車を発見し、あわてて急停車の措置をとつたが及ばず本件事故が発生したこと。そして、被告浅野は、事故直後自己の進路に対面する信号を確認したところ、赤を表示していたこと。

(六)  原告車と被告車との衝突地点は、本件交差点中央やや東南寄りの地点(以下本件衝突地点という。)であつて、南北道路を北から南に向かつて進入する車両に対する交差点手前の停止線(以下北側停止線という。)からは約二〇メートル、東西道路を東から西に向かつて進入する車両に対する交差点手前の停止線(以下東側停止線という。)からは約一〇メートルの地点であること。

(七)  原告車と被告車との衝突の状況は、被告車の右前ライト付近が、原告車の右後部付近に衝突し、その衝撃で、原告車は半回転し、その後部が本件交差点の西南角の信号機の柱に衝突し、右後部が破損したこと。

(八)  原告は、事故当日、原告車を運転し、東西道路を東から西に向つて時速約一五キロメートルで進行し、本件交差点の手前に差しかかつたが、同所で停止することなく、そのままの速度で同交差点に進入していること。

ところで、原告は、被告車が対面信号赤の表示で本件交差点に進入したため、対面信号青の表示に従い本件交差点に進入した原告車に衝突したものである旨主張し、原告本人尋問の結果中にも右主張に沿う供述部分があるが、前記認定のように、被告車は、少なくとも、時速約四〇キロメートル(秒速約一一・一メートル)で本件交差点に進入したものであること、時速約一五キロメートル(秒速約四・一メートル)の原告車が東側停止線から約一〇メートル西方の本件衝突地点まで到達するのには少なくとも約二秒以上を要すること、そして本件交差点の信号機は原告車の対面信号が青になる直前二秒間は全部赤であり、その前四秒間は被告車の対面信号は黄であることから考えて、原告車が対面信号青の表示に変わると同時に本件交差点に進入したと仮定すると、被告車の対面信号は、被告車が、少なくとも、本件衝突地点の北方約八八メートル(被告車が八秒間に進行する距離である。)、即ち、北側停止線の北方約六八メートル付近の地点に達したとき既に青から黄に変わつていたことになり、被告車の対面信号が赤(全赤)に変わつた時点においても、被告車は少なくとも北側停止線の北方約二四メートルの地点付近を走行していたことになるから、前記認定のように被告浅野が本件交差点進入前対面信号黄の表示を確認していることからして、被告浅野があえて対面の赤信号を無視して本件交差点に進入したものとは認め難い。結局、原告車が対面信号青で本件交差点に進入したとの原告本人の前記供述部分は、到底措信できず、他に前記原告の主張事実を認めるに足りる証拠はない。

他方、被告らは、被告車が本件交差点に進入する直前に対面信号が青から黄に変つた旨主張し、被告浅野は、その本人尋問において、本件交差点手前の北側停止線の北方約七、八メートルの地点を走行中、対面信号の表示が青から黄に変るのを確認した旨供述するけれども、前記認定のように、被告車が本件交差点に進入する際の速度が少なくとも時速約四〇キロメートル(秒速約一一・一メートル)であり、北側停止線の北方約七、八メートルの地点から本件衝突地点までの距離は約二七、八メートルにすぎず、その間を時速約四〇キロメートルの速度で進行すれば約三秒に足りないのに、被告車の対面する黄信号の表示は四秒間継続すること、本件事故発生の直後被告車の対面信号は既に赤に変つていたことを考え併せれば、被告浅野が北側停止線の北方約七、八メートルの地点に差し掛つたとき対面信号の表示が青から黄に変つたものとは認められない。したがつて、この点についての被告浅野本人の前記供述部分は信用できず、他に被告らの前記主張事実を認めるに足りる証拠はない。

前記認定の事実によれば、本件事故は、被告車が対面信号の表示が黄から全赤に変わる直前に北側停止線をこえて本件交差点に進入し、他方、原告車が対面信号の表示が赤(全赤)から青に変わる直前に同交差点に進入したことによつて発生したと推認するのが、関係各証拠により認められる事実関係に最もよく符合し、相当であると考える。

以上の事実によれば、被告浅野は、被告車を運転して本件交差点に進入するに当つて、同交差点が信号機による交通整理の行われている交差点であつたのであるから対面する信号の表示を十分に注視し、その表示に従つて進行すべき注意義務があつたのに、これを怠り、北側停止線の約八メートル手前の地点に達するまで右信号の表示を十分注視せず、かつ、同地点で信号が黄を表示しているのを認めながら、その信号がいつ黄の表示に変つたかを確認することなく、右黄の表示のうちに同交差点を通過できるものと軽信し、時速約四〇キロメートルの速度で同交差点に進入したため、進入直後赤信号の表示に変り、折柄東西道路を東から本件交差点に進入して来た原告車の右後部に被告車の右前部を衝突させて本件事故を発生させたのであるから、本件事故発生につき被告浅野に前記注意義務違反があることは明らかである。そうすると、被告浅野は、民法七〇九条により原告が本件事故によつて被つた損害を賠償する責任がある。

被告らは、本件事故発生については原告にも過失があるから過失相殺がなされるべきである旨主張するので、ここで、この点について判断する。前記事実によれば、原告は、原告車を運転して本件交差点に進入するに当つて、同交差点が信号機による交通整理の行なわれている交差点であつたのであるから、対面する信号の表示を十分に注視し、その表示に従つて進行すべき注意義務があるのに、これを怠り、南北道路の対面信号が黄から赤(全赤)の表示に変つたことから自己の進入する東西道路の対面信号も直ぐに赤から青の表示に変るものと軽信し、同信号がいまだ赤(全赤)であるのに東側停止線で停止することなく、時速約一五キロメートルの速度で同交差点に進入したため、本件事故が発生したのであるから、本件事故発生につき原告に前記注意義務違反があることは明らかである。そして、原告、被告浅野双力の注意義務違反の内容及びその程度、殊に原告、被告浅野ともに本件交差点に進入できない信号の表示であるのに進入していることその他諸般の事情を考慮すれば、右双方の各過失割合は、五対五と認めるのが相当である。

三  そこで、原告が本件事故により被つた損害について検討する。

1  受傷とその治療経過並びに後遺障害(請求原因3(一)ないし(三))

証人吉峰泰夫の証言により真正に成立したと認められる甲第二ないし第五号証(ただし、甲第二号証中、「九級一二〇万」との記載部分を除く。)、同証人、証人加藤菊江の各証言及び原告本人尋問の結果を総合すれば、原告が本件事故後、請求原因3(一)記載の各症状により、同(二)記載の治療を続けた結果、同(三)記載の障害を残して症状が固定し、この後遺障害が自賠法施行令別表九級一〇号に該当することの各事実が認められる。もつとも、成立に争いのない甲第一二、第一三号証、同第一四号証の二によれば、原告は、政府に対し本件事故について自動車損害賠償保障事業による損害填補の請求をしたところ、昭和五四年四月二〇日付で、運輸大臣から、本件事故による損害填補金三七万円(これは自賠法施行令別表一四級一〇号に該当する後遺障害)を給付する旨の決定を受けていること(ただし、右決定は昭和五四年七月三一日付で本件前の事故による後遺障害と同一のものであるから、本件前の事故による保険金により支払ずみであるとして取消決定がなされている。)が認められるが、右一四級に該当する旨の決定には何らその理由が示されていないのであるから、前記認定を妨げる証拠とはならない。

ところで、被告らは、原告主張の本件事故後の前記症状及び後遺障害は、本件前の事故に起因するものであつて、本件事故により生じたものではない旨主張し、右の症状(傷害)及び後遺障害と本件事故との因果関係を否定するので、この点について判断する。

前掲甲第二ないし第五号証、同第一二、第一三号証、同第一四号証の二、成立に争いのない乙第六号証の一ないし一四、証人加藤菊江の証言及び原告本人尋問の結果(ただし、同人の証言及び原告本人尋問の結果中、いずれも後記措信しない部分を除く。)を総合すれば、原告は、昭和四六年四月二二日午後一〇時ころ、軽四輪自動車を運転し、交差点で一時停車中、滝井政一運転の自動車に追突され(これが本件前の事故である。)、これにより、頸部挫傷、鞭打ち損傷の傷害を受け、入院二〇一日間、通院実日数四六〇日間、総治療期間一〇五四日に及ぶ治療を経た後、昭和四九年四月二〇日、右傷害は頸部、項部の痛み及び運動障害、頭痛、自律神経失調症、易疲労性などの症状を残して症状が固定し、自賠責保険から、右後遺障害が自賠法施行令別表九級一〇号に該当するとの認定を受け、同年五月八日、右後遺障害による保険金一三一万円の給付を受けたこと、(したがつて、本件事故は、右症状が固定し、右後遺障害が生じてから約二か月後に発生していること。)、原告は、昭和四年一一月三〇日生まれ(右症状固定当時及び本件事故当時ともに四四歳)の男子であつて、終戦後建築大工の仕事に従事し、本件前の事故当時には、棟梁格の大工として、請負による家屋の建築もしていたものであるところ、本件前の事故により入院し、右大工の仕事を休んでいたが、退院の後通院するようになつてからは徐々に右の仕事に従事するようになり、本件前の事故による症状が固定したころには、作業内容はともかく、かなりの程度労働力が回復し、大工仕事に従事できる状態に復していたことが認められ、これらの事実を総合すれば、原告は本件前の事故による右後遺障害により労働能力の三五パーセントが減退していたと認めるのが相当である。もつとも、証人加藤菊江及び原告本人は、本件事故当時、原告の労働能力は既に回復し、大工として棟上げや屋根じまいなどの仕事をしたり、柱を二本持つて高いところに上がるなどの作業に従事していた旨の証言及び供述をするけれども、本件事故は本件前の事故による症状の固定時から僅か約二か月後に発生したものであること並びに前記認定の後遺障害の内容程度に照らして右証言及び供述は到底措信できず、他に前記認定を覆すに足りる証拠はない。

前記認定の本件事故の態様、原告の本件前の事故による傷害の内容及び程度、その治療経過、後遺障害の内容及び程度、本件事故後の原告の傷害の内容及び程度、その治療経過、後遺障害の内容及び程度などに徴すると、原告の本件事故後の症状及び後遺障害と本件前の事故による傷害及び後遺障害とは極めて酷似していることが認められるほか、原告の本件事故後の頸椎捻挫の傷害は、一般のそれに比較すると、症状が重く、治療も長期間を要していることからして、本件前の事故による後遺障害の影響も否定し難いこと(この事実は証人吉峰泰夫の証言により認める。)をも併せ考えれば、本件事故後の原告の傷害及び後遺障害は、本件事故と本件前の事故との双方の事故に起因するというべきである。そして、前記認定の事実関係のもとにおいては、右両事故は共同不法行為の関係にはないのであるから、本件事故後の原告の損害のうち、本件前の事故によることが明らかな部分(これは後記2(二)の休業損害の算定基礎である年間収入のうち三五パーセントの部分及び同(三)の逸失利益のうち本件前の事故による後遺障害の存続期間中の部分。)は本件事故との間に因果関係が認められないからこれを除き、その余の損害については、本件前の事故による後遺障害が残存していたために、本件事故だけでは発生しなかつたような重い傷害及び後遺障害を生じ、そのため、治療が長期間にわたる結果となつて余分な治療を要し、後遺障害もそれだけ増大し、また長期化する結果となつたものと認められるので、この損害は右両事故の寄与度に応じて割合を定め、本件事故の寄与による部分について本件事故との間の因果関係を認めるのが相当である。そこで、右寄与度について検討するに、前記認定の諸事実に鑑みると、本件事故後の原告の右損害のうち本件事故の寄与した割合は八割と認めるのが相当であり、その余の二割の部分は本件事故との間に因果関係が認められない。

2  原告の損害額

(一)  入院雑費 六万二〇〇〇円

入院すればこれに伴う諸雑費の支出を余儀なくされることは経験則上明らかであり、原告の入院期間中における一日当りの雑費は五〇〇円と認めるのが相当である。そして、原告は、前認定のとおり一五五日間入院しているのであるから、その間の入院雑費の合計は七万七五〇〇円となる。そして、右損害のうち本件事故との間に因果関係の認められるのは前記のとおりその八割であるから、その額は六万二〇〇〇円となる。

(二)  休業損害 二五六万五七一四円

証人加藤菊江の証言により真正に成立したと認める甲第八号証の一ないし三、同第一〇号証、同証人の証言及び原告本人尋問の結果を総合すると、原告は、本件事故当時大工として、三棟の家屋建築工事を代金合計約一九二五万円で請負い、これらの建築工事に従事していたが、その請負による純益は請負代金の約二割(約三八五万円)であるところ、その純益をあげるには原告の妻が約二割の寄与をしていた(したがつて原告の純益は約三〇八万円となる。)ことが認められるから(なお、本件においては原告の年間の収支を明確にする帳簿、請負工事の始期、終期を示す請負契約書等が存在しない。)、原告は、本件事故当時、年間少なくとも、二一一万四六〇〇円(この金額は、当裁判所に顕著な昭和四九年の賃金センサス第一表産業計、企業規模計、小学・新中卒の原告の当時の年齢(四四歳)と同年齢の男子労働者の平均給与の年額である。)から本件前の事故により既に減退していた労働能力の三五パーセントを控除した一三七万四四九〇円を下回らない純益をあげていたと認めるのが相当である。成立に争いのない乙第四号証及び原告本人尋問の結果によれば、原告の高松市長に対する昭和四八年の所得申告額は五〇万円であることが認められるが、原告のような職業にある者の所得申告額は必ずしも現実の所得と一致していないばかりでなく、原告には前記のように現実に正当な前記収入が認められるのであるから、右証拠は前記認定の妨げとはならないし、他に前記認定を左右するに足りる証拠はない。

そして、証人加藤菊江の証言及び原告本人尋問の結果によれば、原告は、本件事故により同事故発生の翌日である昭和四九年七月一日から症状固定の前日である昭和五一年一一月五日までの少なくとも二年四月の間、休業を余儀なくされたことが認められるから、その間における原告の休業損害は、次式のとおり三二〇万七一四三円(円未満切捨て。以下同じ。)となる。

〈省略〉

しかしながら、右の休業損害のうち本件事故との間に因果関係の認められるのは前記のとおりその八割であるから、その額は二五六万五七一四円となる。

(三)  後遺障害による逸失利益 二三六万三九二四円

前記認定の事実によれば、原告は、大工として、症状固定時である昭和五一年一一月六日当時(年齢四六歳)、年間少なくとも二一八万八九〇〇円(この金額は前記昭和四九年の賃金センサス第一巻第一表産業計、企業規模計、小学・新中卒の四六歳の男子労働者の平均給与の年額である。)を下回らない純益をあげ得たものと推認することができる。ところで、本件事故後に症状が固定した後遺障害は、前記のとおり自賠法施行令別表九級一〇号に該当するので、その障害の内容、程度に照らし労働能力の三五パーセントが減退したというべきである。そして、原告の右後遺障害は、本件前の事故による後遺障害が残存していたため、これが増悪化し長期化したことは前記のとおりであり、本件事故後の後遺障害の内容、程度、殊にそれがいわゆる鞭打症であることに鑑みると、その存続期間は症状固定時から八年間と認めるのが相当である。原告は、右後遺障害は生涯を通じて回復の見込がない旨主張し、証人吉峰泰夫、同加藤菊江及び原告本人の証言及び供述中には右主張に沿う部分があるが、右証言及び供述は後遺障害がいわゆる鞭打症であることに照らして措信できないし、他に右主張事実を認めるに足りる証拠はない。

そこで、昭和五一年一一月六日から八年間における利益の現在価値をホフマン式計算法により年五分の割合による中間利息を控除して算出すると、次式のとおり五〇四万七一六五円となる。

2,188,900円×35/100×6.588≒5,047,165円

しかしながら、右八年間の損害のうち当初の三年間の損害は、明らかに本件前の事故の後遺障害によるものと認められるから、これを控除すると、その残金は二九五万四九〇五円となる。

そうすると、右逸失利益のうち本件事故との間に因果関係の認められるのは前記のとおりその八割であるから、その額は二三六万三九二四円となる。

(四) 治療費

そこで、被告らの弁済の前提をなす治療費について検討するに、本件事故後における治療費が三〇万円であることは当事者間に争いがない。そうすると、右治療費のうち本件事故との間に因果関係の認められるのは前記のとおりその八割であるから、その額は二四万円となる。

(五) 過失相殺

右の(一)ないし(四)の損害の合計は五二三万一六三八円となるところ、前記二2の過失割合に従い過失相殺をすると被告らに負担させる額は、右金額の五割にあたる二六一万五八一九円となる。

(六) 慰藉料 一二〇万円

本件事故の態様、本件事故後の傷害の内容及び程度、入院及び通院を含めた治療経過、後遺障害の内容及び程度、本件事故発生については原告にも過失があること、その他本件に現われた諸般の事情を考慮すると、原告に対する慰藉料は一二〇万円をもつて相当と認める。

(七) 損害の填補(被告らの弁済の抗弁を含む。)

原告が、

(1) 被告浅野から請求原因3(五)記載のとおり合計一三〇万円

(2) 昭和五〇年八月四日被告浅野から治療費三〇万円

(3) 昭和五四年四月一七日香川県共済農業協同組合連合会

(被告車について加入していた任意保険)から五〇万円

の各支払を受けたことは当事者間に争いがない。そこで、右合計二一〇万円を前記(五)及び(六)の損害合計三八一万五八一九円に充当すると、その残金は一七一万五八一九円となる。

(八) 弁護士費用

原告が、原告訴訟代理人らに本件訴訟を委任したことは当事者間に争いがなく、弁論の全趣旨によると、原告は、右訴訟委任に際し、同代理人らに一〇万円を支払い、勝訴の際は認容額の一割を支払う約束をしたことが認められる。そして、本件訴訟の難易、審理経過、認容額その他諸般の事情を考慮すると、本件事故と相当因果関係のある弁護士費用は一八万円をもつて相当と認める。

四  結論

以上のとおりであつて、原告の本訴請求は、原告が被告らに対し各自、金一八九万五八一九円及びうち金一七一万五八一九円に対する症状固定の日である昭和五一年一一月六日から、うち金一八万円(弁護士費用)に対するこの裁判確定の日からそれぞれ支払ずみまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において理由があるからこれを認容し、その余の部分は理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条本文、九三条一項本文を、仮執行の宣言につき同法一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 山口茂一)

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